第一話 プロローグ

ティーカップを差し出す執事。
「ありがとう、セバスチャン。」
「井戸から汲みたての水を用いた、水出しハーブティーでございます。」
「うん、美味しい水を使うとハーブの香りが引き立つね。」
タクトは差し出されたティーカップに口を近づけるとそう答えた。

執事がいる、というとどこかのお屋敷に住んでいる貴族を想像するかもしれない。
しかし、ここはただの馬小屋。
屋敷はおろか、住む場所も宿に泊まるお金もなく、宿屋に併設された馬小屋を格安で借りているのだ。

・・・
この世界について補足したい。
ここはアナザーバース。
人工知能が作り出した模擬宇宙のとある惑星の世界。
簡単に言えばゲームの世界だ。

時は西暦39XX年。
地球人類は多くの問題を克服し、ついに銀河文明の仲間入りを果たした。
人々は精神的な成長を求め、それに伴い科学技術も発達し、過去にはオカルトと呼ばれていたことの多くの事柄は単なる知識となった。
世界はコミュニティによって運営され、争いも貧困も存在しない。
高度な人工知能によってあらゆるシステムは自動化され、人々は人生を楽しむことに多くの時間を費やすことになった。

精神分野の発達により、夢の原理についても解明が進んだ。
このアナザーバースは夢の原理を応用しているらしい。
詳しいことはよくわからないけれど、アナザーバースでの1日は現実世界の1分に相当するとのことだ。
1日1時間までという使用制限がかけられているが、それはアナザーバースでは60日にもなる。
この短時間で多くの経験が出来ることに加え、現在の地球ではできない多くのことを疑似体験が出来ることで人気となっている。
平和で何不自由のない生活が出来る現在では、あえて不自由で多くの問題がある世界で過ごすことはとても刺激的なのだ。

アナザーバースには現実の宇宙同様に無数の惑星があり、多くの文明が存在する。
NPCはそれぞれ人工知能によって個性があり、転生システムがあるらしい。
つまり、アナザーバースの住人は皆この宇宙で実際に生きているのだ。

はじめに選択できる惑星はある程度限定されている。
文明レベルでは最下位といってもよいレベルの惑星だ。
この惑星も、かつて未開の惑星であった地球がそうであったように、物質主義、戦争、犯罪、汚職、エネルギー問題、カルトなど様々な問題が存在する。
地球と少し異なるのは、魔法が存在するファンタジー世界ということだ。

ゲームとはいえ、多くの人にとっては厳しい環境だ。
だからゲーム開始時には、初心者特典をいくつかの候補の中から1つだけ選択することができる。
例えば、以下のようなものだ。
・経験値10倍
・神獣
・成長する武器
・膨大な魔力
・植物魔法
・鑑定技能
・スキルコピー
・執事

いかにもチートっぽい内容が並ぶ中、明らかに「執事」だけが異彩を放っている。
きっと何かあるに違いないと思い、自分は迷わず「執事」を選択した。

ゲームを開始すると街の広場に立っていた。
中央にある大きな噴水が印象的だ。
自分自身を確認してみると、この世界に馴染んだ服装で、少しばかりのお金を所持していた。
銅貨らしきものが10枚だ。
すぐ隣には、品の良い初老の男性が立っていた。
「はじめまして、タクト様。私は執事のセバスチャンでございます。これからよろしくお願いいたします。」
「あぁうん、こちらこそよろしく。」
戸惑いながら答えた。
特典で選んだ執事のようだ。

「本日はいかがいたしましょうか?」
「えっと、そうだね・・まずはこの世界について色々と知りたいかな。とりあえずどこかで食事でもしながら話そうか。」
特に空腹というわけではないが、この世界の料理に興味があるのだ。
周りを見回すと、食事が出来そうな建物に目に入った。
「あそこに行ってみよう。」
「承知いたしました。」

建物に入ると、店員と思われる女性に空いているテーブルに案内された。
お昼時のためか、ほどんどの席が埋まっている。
周りの人を良く見てみると、様々な人種がいることに気づいた。
とがった長い耳をした人、角をはやした人、全身に毛を生やしている獣人と思われる人などだ。
この街は交易都市なのだろうか?それとも多人種が共存する街なのだろうか?
などと考えながら席に腰を下ろすと、店員さんからメニューを渡された。
「ご注文がお決まりになったらお呼びください。」

メニューを開くと、そこには料理名と金額が書かれている。
セバスチャンには『好きなものを選んでいいよ』と言いたいところだが、残念ながら手持ちは限られている。
銅貨10枚で食べられそうな料理は・・
適当に料理を注文しようと思ったが、すぐに予算をオーバーしてしまいそうだ。
”本日の日替わり定食:銅貨5枚”という文字が目についた。
これなら二人分頼んでも問題なさそうだ。
「セバスチャンもこの日替わり定食でいいかな?」
「はい、仰せのままに。」
普段は耳にすることのない返答の言葉に若干のむずがゆさを感じながら、店員さんに声をかけて日替わり定食2人前を注文した。

「セバスチャンはこの世界についてどれくらい知っているの?」
「一般常識やある程度の世界情勢については存じております。ただ、ここから遠く離れた土地やダンジョン等についてはあまり存じ上げません。」
なるほど、ダンジョンが存在するのか。
さすがファンタジー世界。
「ここって色んな人種の人がいるみたいだけど、交易都市だったりする?」
「ご名答でございます。この街”クロスロード”は周囲の都市を繋ぐハブのような立地となっております。ゆえに、様々な国から多様な人種が行き交い、多くのものがもたらされ商業が発達しております。」
商業か・・過去に地球でも貨幣を用いた市場経済が存在したという。
貨幣を用いた経済活動は、”モノやサービスの受け渡し”や”貯蓄”など便利な側面もあったが、富の集中による貧困の発生、物質主義への傾倒など、負の側面も多かったらしい。
知識として持ってはいるが、いまいちピンとこないところもある。
実際に体験してみれば、どのようなものか理解できるだろう。

「お金の価値について教えてくれないかな?銅貨5枚位で定食を食べることが出来るということは分かったけど。」
「お金には大きく3種類、銅貨、銀貨、金貨がございます。銅貨100枚が銀貨1枚に相当し、銀貨100枚が金貨1枚に相当いたします。また、大銅貨、大銀貨、大金貨というものがあり、それぞれの貨幣の10倍の価値となります。」
貨幣の価値をまとめると以下の通りだそうだ。
・銅貨
・大銅貨:銅貨10枚に相当
・銀貨:銅貨100枚に相当
・大銀貨:銀貨10枚に相当
・金貨:銀貨100枚に相当
・大金貨:金貨10枚に相当

「ところでセバスチャンは今お金をいくらい持っているの?」
「お金は持っておりません。私が今所持しているのはティーカップセットのみでございます。」
セバスチャンは、まるで魔法のように一瞬で、ティーポットとティーカップをテーブルの上に置いた。
「おぉ!?いまのはアイテムボックスから取り出したということ?」
「その通りでございます。タクト様は博識でいらっしゃる。」
セバスチャンは感心した様子だ。
漫画やゲームから得た知識であることは言い出しにくい。
ちょっと照れた後、さっき注文した料理の代金に思いを巡らし、少し青ざめた。
注文した料理の代金足りているかな?足りているよね?

「お待たせいたしました。日替わり定食でーす。」
店員さんの元気な声が、曇りがかった気分を切り替えてくれた。
注文した料理が運ばれてきたのだ。
見たことのない野菜と思われる植物のサラダ、よくわからない肉のグリル、ぱっと見はコンソメのような色合いのスープ、そして黄金色に焼けたパンだ。
間違いなくおいしいであろう見た目の料理に加えて、肉の香ばしい香りが食欲をそそる。
一旦代金のことは忘れて料理を味わうことにした。
どれも素晴らしい味だ。
特に空腹ではなかったはずなのに、夢中になってすべてを平らげた。

ふとセバスチャンの方に目を向けると、まだ食事中のようだ。
さすが執事というべきか、定食を食べているだけなのに、まるでコース料理を食べているような所作で一挙一動が美しい。
思わず見入ってしまった。

セバスチャンが食べ終わるのを待って、食事代金について切り出した。
「代金これで足りるよね?」
お金が入っていた袋から、全額である銅貨らきしもの10枚をテーブルに出してみた。
一方、メニューには注文した料理は銅貨5枚という記載だ。
注文したのは2人前だから、ちょうど足りるはずだ。

セバスチャンが顔を曇らせた。
「タクト様、残念ながら消費税分足りないようです。」
「は?消費税?」
「はい、この世界では何か物を購入したりサービスを受ける場合、その代金の20パーセントを税金として払うことになっております。ですので、銅貨2枚ほど足りておりません。」
セバスチャンはメニューの端を指さした。
なにやら説明書きがある。
”本メニューは【税抜き価格】の表示となっております。別途、消費税が加算されます。”
「まじか!?」

若干パニックになって頭の中で様々な考えが渦巻いた。
こういう場合、皿洗いとかすれば許してもらえる?
それとも警察的な人に突き出される?
ならばいっそのこと、ダッシュで逃げるか?
いや、いきなりゲーム開始初日から食い逃げで犯罪者にはなりたくない。
それにセバスチャンを巻き込むのは気が引ける。

頭を抱える俺にセバスチャンは落ち着いた様子で声をかけた。
「”文殊も知恵のこぼれ”という諺がございます。誰にでも間違いはあるという意味です。タクト様はつい先ほどこの世界に来たばかり。税金のことをご存じないのは当然でございます。まずは正直に話してから判断を仰ぎましょう。」
セバスチャンに促され、店員さんに事情を説明することにした。

「そういうことなら、足りない分は次回いらしたときに払っていただければいいですよ。」と店員さん。
手持ちの全額を払い、名前と不足分の金額を記録することで事なきを得ることができた。
ほっと胸をなでおろし、店を後にしようとした際、セバスチャンが切り出した。
「一旦、問題は回避することができましたが、これでは執事の沽券に関わります。せめて私だけでも皿洗いのお手伝いをさせていただけないでしょうか?」
その言葉を耳にした店員さん。
「ちょうど今、厨房が立て込んでいて、洗い物を手伝っていただけるなら助かります。」
「それならばぜひ」とセバスチャン。
「ならば自分も」
「いえ、タクト様のお手を煩わすことはありません。私、皿洗いは得意なのです。私一人で十分です。夕方にここで落ち合いましょう。それまでタクト様は散策でもなさっていてください。」
「う、うん。」
二つ返事をして、一人で街に繰り出すことにした。

まずは人通りの多い、市場と思われる道を散策することにした。
道の両端には多くの露店が並んでいる。
野菜や果物、ドリンク、ホットスナック、アクセサリー、道具などあらゆるものが販売されている。
興味が引かれるのものいくつかあったが、一文無しなのでどうすることもできない。

時間があるので、適当に街を歩いてみた。
市場から少し離れると、宿屋と思われる建物を多く目にするようになった。
交易都市だから需要が高いのだろう。
診療所や宗教施設と思われる建物もある。
さらに街の中心部から離れると、一般人の住宅と思われる建物が多くなった。

そんな中、明らかに他とは異なる目立つ大きな建物を見つけた。
武器を持った人たちが出入りしている。
建物の看板には「ギルド」という文字がある。
おそらく、ゲームとかでよくある冒険者ギルドだろう。
ちょうどいい。
お金を入手する方法を考えないといけないなと思っていたところだ。
仕事でも探してみるか・・冒険者ギルドへ足を踏み入れた。

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